人として生まれてきた以上、幸せに生活することは人生にとって最も大切なことであると考えます。しかし、何を幸せに思うかは十人十色です。ここでは、幸せと贅沢とお金の関係について子供(中学生になったら)に教えたいことをまとめてみました。
- 1. 余裕をもって物事を考えるための最低限の衣食住を整える
- 2. 何が贅沢(得がたいこと)かを考えてみる
- 3. お金で買えない贅沢と買える贅沢とを区別する
- 4. 日々の贅沢レベルを低く保つと幸福感が増える
1. 余裕をもって物事を考えるための最低限の衣食住を整える
幸せに生活するためには、まずもって、健康と最低限の衣食住が必要であると考えます。これらのどれかが不足するから無理やりそれらを満たすために犯罪を犯したり、我慢を続けて餓死したり、病気になったりします。逆に、健康と最低限の衣食住を得られれば、心に余裕が生まれ、物事を冷静に考えるための環境が整います。したがって、健康と最低限の衣食住を得られるようにすることが幸せに生活する第一歩であると考えます。
2. 何が贅沢(得がたいこと)かを考えてみる
何が贅沢かは、人によって異なります。
- 不治の病に罹ったとき:辛くない普通の状態でいることが贅沢
- 空腹のとき:お腹いっぱい食べることが贅沢
- 飲み水がないとき:飲用に適する水を安心して飲めることが贅沢
- 小便を何時間も我慢しているとき:便所が贅沢
- 休みが取れないとき:休暇をもつことが贅沢
- 孤独なとき:人とのふれあいをもつことが贅沢
- 期間限定のグッズが手に入らないとき:手に入れることが贅沢
- 外車がほしいとき:手に入れることが贅沢
- 家が狭いと感じているとき:より広い家に住むことが贅沢
- 年老いたとき:若いこと(時間が十分にあること・体力があること・みずみずしい肌を保っていることなど)が贅沢
- 年下の同僚が自分より昇進したとき:自分も昇進することが贅沢
- お金がないとき:お金が手に入ることが贅沢
- 恋人がいないとき:恋人と愛を語らうのが贅沢
- 心に余裕がなく焦っているとき:余裕をもつことが贅沢
- 禿げたとき:フサフサの髪をもつことが贅沢
自分の経験も交えて書いてみましたが、結局、贅沢とは
「自分の現状に不満があるときにその不満を解消できること」
なのだと考えます。その中でも、
自分のもつ富や努力だけでは実現できない贅沢
- 不治の病に罹ったとき:辛くない普通の状態でいることが贅沢
- 年老いたとき:若いこと(時間が十分にあること・体力があること・みずみずしい肌を保っていることなど)が贅沢
などは、真の贅沢なのだと考えます。若いときは、自分の若さの価値が分からないものです。自分が病気ではなくピンピンしているときは、自分が動き回れることの価値が分からないものです。現状で健康と衣食住が満たされている人は、そのような真の贅沢を常に享受していることを常に念頭に置くべきであると考えます。
3. お金で買えない贅沢と買える贅沢とを区別する
一概には言えませんが、お金で買えない贅沢とお金で買える贅沢があります。お金で買える贅沢は幸せな生活にとって必須とはならないため、お金を貯めるためには贅沢レベルを低く保ち支出を抑えることが大切です。
お金で買えない贅沢は、健康や若さのほかに以下のようなものがあります。
- 孤独なとき:人とのふれあいをもつことが贅沢
- 恋人がいないとき:恋人と愛を語らうのが贅沢
- 禿げたとき:フサフサの髪をもつことが贅沢
これらは、自分以外に人がいるからこそ湧いてくる贅沢であると考えます。人間は生来社会的な生き物で、他者から受ける愛情や言語交換なしには生きていけません(フリードリヒ2世の実験(リンク)が有名)。また、禿げは禿げていない他人と禿げている自分とを比較するからこそ生まれる羨望の感情ですから、やはり人間が社会的であるからこその贅沢なのだと考えます。人とのふれあいはお金で買える場合もありますが、お金で買える人とのふれあいは商業的であるが故、贅沢とは見なせないでしょう。お金で買えない人とのふれあい、例えば何気ない家族団らん、職場での良好な人間関係の中での世間話など、自分を受け入れてくれている家族や隣人がいることは贅沢と言えるでしょう。
一方、お金で買える贅沢は、大抵がモノやサービスです。
- 期間限定のグッズが手に入らないとき:手に入れることが贅沢
- 外車がほしいとき:手に入れることが贅沢
- 家が狭いと感じているとき:より広い家に住むことが贅沢
これらは、健康や最低限の衣食住に関係がありません。一言で言うと、物欲です。期間限定グッズは、「今しか買えません!」と、ある期間中に限定発売されるために物欲が刺激されます。買うまでにウキウキしますが、買った後は「もったいない」と大事に保管したりして、時間とともにその物への興味が薄れることが多々あります。こういう物を買うことは、お金の無駄になる可能性が高いため、避けた方が良いです。買うまでのウキウキ感を得るために買っているとも言えますが、買った物を活用したとは言えません。買うべき物は、日々使うもので、持っていることでときめき感を得られるもの(「人生がときめく片づけの魔法」:近藤麻理恵 著)であるべきです。
しかし物欲にも色々あって、例えば、「外車に乗ってそれ以上ない幸福感を得られ、もう死んでも良い」と思えるのであれば、それはその人の人生にとって大切なことであり、もはや「贅沢」ではなく、「幸せな人生を送るために必要な物」になり得ます。ここでは、そういうものではなく、「外車に乗ることで社会的地位を誇示できる」ことを意図しています。
お金で買える贅沢は、贅沢レベルを低く保つ対象になります。
4. 日々の贅沢レベルを低く保つと幸福感が増える
本題です。
幸せに生活するためには、健康と最低限の衣食住によって心の余裕を得ることが必要です。そのためには、ある程度のお金が必要です。ある程度のお金の額は時代や地域で異なりますが、最低限はその地域の最低賃金程度
または、高校生や大学生の初任給程度
であると考えられます。私の住んでいる鳥取県ですと、最低賃金はH29年度で738円なので、一月の休日10日間で8時間フルタイムで働いたとして、(365(年間の日数)-120(年間の休日数))×8(1日の就業時間)×738(鳥取県の最低賃金)=約144万6千円です。
ある程度のお金で生活し、健康と最低限の衣食住の水準を知ることができたら、実はすでに幸せな生活の半分位を知ることができたと言えるのかも知れません。
その上で、日々の幸せ感を増やすためには、贅沢のレベルを低く保つことが大切かと考えます。
生活をしていて、年収を増やすのは大変ですが、支出を抑えるのは工夫次第で可能です。贅沢のレベルを低く保つことは、支出を抑えるための心の工夫とも言えます。
贅沢レベルを低く保つことの例:
- 寒い思いをしないでいられる服装は贅沢
- 人に奇異な目で見られないでいられる服装は贅沢
- 野菜が少しある食事は野菜のない食事よりも贅沢
- 温かい食事が摂れることは冷たい食事よりも贅沢
- とれたて野菜は日が経った野菜よりも贅沢
- 帰宅して食事が用意されていることは贅沢
- お腹が減った状態でおいしく食事できることは贅沢
- たまに好物が食べられることは贅沢
- ある程度安心・安全に住めることは贅沢
- ある程度快適に住めることは贅沢
- 個人のプライバシーが保たれながら住めることは贅沢
- 妻と子供の笑顔が毎日見られることは贅沢
- 中古の車でも、自転車と比べたら濡れずに移動できるだけ贅沢
- 自転車での移動でも、時間と体力を使う徒歩と比べたら贅沢
などなど、自分にとっての日々の贅沢レベルを低く保つと、当たり前の生活がゆとりある生活に思えるようになり、支出が抑えられます。
幸せな生活を送るための工夫とは、つまるところ心の持ちようなのではないか、ということです。
資産形成をする上では、収入を増やすよりも、支出を抑えることの方が簡単で取り組みやすいです。支出を抑えながら、お金を増やす目的を考えて、具体的な金額を何年で増やすかということが大切だと考えます。
関連記事などです。
cden.hatenablog.com年収がもたらす幸福感には限界があるという研究結果があるそうです。人間が考える幸福感というのは、本来、お金とは無関係なところにあるものなのかも知れません。