登山記録ポータルサイト<ヤマレコ>
最近登った山をヤマレコで記録しています.
ここは,登った山の経路を等高線で表示できるので,非常に重宝しています.
記録というのは宝物だと思っています.
登った時に,どれだけ達成感を得たとしても,過ぎゆく時間はその感覚を鈍らせてしまいます.
残るのは,曖昧になった感覚と「良かった」「悪かった」という思い出だけ.
数々の山を登ってきましたが,そうやって記録化しなかったために大部分の情報を忘れてしまった自分がいます.
今からでも遅くない,そんな思いで今年登った山から記録し始めました.
あと,デジカメ写真が残っている昨年以前に登った山の記録も.
エビングハウスの忘却曲線という有名な忘却モデルがあります.
人が覚えた情報は,一日経つと7割も8割もその内容を忘却してしまうとのことで,
いかに正確な記録が大事か分かろうというものです.
ということで,ヤマレコ.
山好きの人は,強力なデータベースになること請け合いです.
就職先としての高専教員
この就職難であっても、博士後期後期課程学生やポスドクは
パイの少ない大学や独法研究所の公募戦線に身を挺し、
少なくない人達が脱落して全く学位と無関係な職を選択せざるを得ないという厳しい状況です。
こういう人達は研究だけがしたい人達なのかなと、不思議に思う時があります。
もう少し考え方を変えれば、つまり研究教育者として研究を主軸とする大学教員から、研究と教育を主軸とする高専教員も視野に入れれば、専門性を活かせるはずだと思います。
つまり、
高専の教員は学位保持者や学位取得見込者にとってとても魅力的な就業先と言いたいのです。
高専教員は大学教員と比べると、確かにデメリットが目立ちます。
・同じ職階でも給料が少ない(らしい)
・部活の顧問や寮の宿直がれっきとした職務となっているため、研究時間が圧迫される
・クラスの担任も職務であるため、研究時間が圧迫される
だけれども、大学教員と同じ位、または大学教員よりもメリットを感じることもあります。
・助教にも個室が用意される
・専科の常勤には実験室も与えられる(実際、新任の私にも2部屋も与えられている)
・教育に対し重点的に取り組める
・独法化したとはいえ未だ準公務員的であり、長期的に働ける(年金も健康保険も文部科学省共済)
そういう点もあり、さらに、
地方高専の教員公募は競争率が高くないのではないかという考えもあります。
大学の公募は一般に狭き門で、倍率100倍レベルだと言われています。
一方、高専の教員は大学教員よりは確実に倍率が小さいでしょう。
地方の高専だと、むしろ応募者ウェルカムという所もあると思います。
一度都会に出たけれどもIターンした人や、そもそも高専教員を目指して学位を目指した人等々。
まあ、高専と無関係だった人が少ない、という訳でもないみたいですが。
これまでの文を読んで高専も良いかもと思った公募戦士は、
JREC-inで自分の専門分野と高専にチェックして検索してみてください。
高専の専科では、
専科が受け持つ分野(JABEEが求めるカリキュラム)に対応出来る教員がいることが最も重要なので、
専門分野がマッチした人材は採用されやすい
です。
高専の科(Department)は大学の科よりも人数が少ないので、大学よりも一人一人の専門性が被らない傾向があります。
教員公募は前任者の埋め合わせであることが殆どなので、前任者の専門を調べてみましょう。
それでも分からなければ、採用担当者(学科長であることが多い)に問い合わせして訊いてみましょう。
その上で応募するかどうか判断しましょう。
高専の教員は専門分野のマッチ具合で決まる。
高専の教員になって(1)
某高専の本科の教員になって1ヶ月弱。高専を学び続け・慣れ親しみ続けている最中ですが、
気付いたことを書き留めたいと思います。
今回のテーマ:高専教員(本科)の仕事
本科というのは、工業系の専門科目を教え、研究を行う学科のことです。
ペーペーの私の仕事は、
・授業(学生実験含む数科目)
・研究(卒業研究を行う学生指導含む)
・部活(大会引率と指導)
・校内の運営委員や寮の宿直
・科内の庶務
となっています。
私の高専は新任の教員を手篤く育てるという方針らしく、教授や准教授が受け持つような数の科目や運営委員などの校務は極力させないらしいです。
まあ、現時点では授業の講義ノート作成と研究テーマの模索で手一杯なので、配慮して頂いて大変有り難かったり。
国立大学の教員は裁量労働制らしいのですが、
私の高専は変形労働制を採用しています。
労働時間が定められていますので、出勤時刻までに出勤します。
17時までが定時ですが、大抵それ以降も自主的に残ります。
自主的に残る場合、残業とはなりません。
部活動指導は“自主的”に含まれるみたいです。
但し、科内の会議で17時を過ぎた場合、時間外労働を申請しますので、手当が出ます。
また、休日の部活の引率も代休などの措置が取られます。
自主的に残っている時のやっていることは、学生の研究指導だったり講義ノート作成だったりしますので、
少し納得いかないこともありますが、全般的には納得してます。
落ち着いてきたので、そろそろ博士論文で纏まった結果を学術論文化したいなぁ。。。と思っています。
(学術論文というのは、書いていないとだんだん書けなくなるらしいので)
続きます。
工学系博士課程学生の就活
平成23年3月期の課程博士の予備審査を経て本審査(最終試験)に合格し、博士号を授与されたので、
一つの区切りとして就活に関するまとめを記したいと思います。
博士後期課程を歩み、進路について考えている人への参考例になれば幸いです。
★ブログ主のプロファイル
・年齢:31歳(平成23年度で)
・国立大学 工学系学科卒→そのまま同じ大学院、同じ研究室 現在D5
・大学入学までに二浪、博士後期課程在学中に二留、標準修業年から4年逸脱
・修了に必要な論文:査読付レギュラーペーパー2本 or レター3本
・修了までに書いた論文:レギュラーペーパー3本
★いつ就活を始めたか?
・D2の春とD4の冬からD5の夏にかけて。
D2の就活は研究の環境から離れるためにやっていました。
研究室にいるのが辛くて(抑鬱状態になってました)、リフレッシュを兼ねて就活してました。
色々な人の就活記を見ると、一時的に研究活動を止めて就活に専念する人もいるようです。
私の場合、就活期間中も研究室には毎日行っていました。
研究室に行っていないと、何だかニートの類になった気分がして嫌だったので。
D4の就活は、修了に必要な論文数が稼げたため、D5での修了即就職を目指して本気で就活しました。
企業の採用担当に問い合わせると、業界に関係なく、博士の採用プロセスは修士と殆ど変わりませんでした。
なので、年齢的に不利だと感じつつ、修士学生や学士学生に混じってテストセンターやWeb試験、面接を受けてました。
非鉄金属、製造業(総合電機)、分析関係の企業を15社程度受けましたが、2次面接まで行けた企業は0社でした。日○、三○電機、三○電機、富○通、日○電線、豊○合成、○ーム、ス○ンレー電気などなど…
率直に、年齢がネックなのだと思いました。
30歳を取ってくれる企業はそうそうないだろうなと思いながら数打ったものの、全滅には流石に凹みました…
それと、SPI・テストセンターの点数が案外取れなくて、大学院入学以来頭の回転が遅くなったと痛感しました…
15社全部ダメになったのが、D5の春だったと思います。
それから、27歳のD3と同じ戦いをしてもダメだと気づきました。
★んで、戦略転換
思い切って年齢の要件が高めの求人に絞ってみました。
そうすると、選択肢に入ってきたのが公益法人の職員や弁理士事務所などの専門職求人でした。
サクッと見つけた某県の水質調査系の公益法人を受けてみたものの、あっさり落ちました。
専攻があまりに違ったからかも知れません。
中小の弁理士事務所も見てみましたが、求人数が多くない上にD5から弁理士資格合格を目指すのは現実的な選択でないと考え除外。
D1かD2位でドロップアウトを決意したならば、弁理士資格を目指してみても良かったかも知れません。
次に思いついたのが、高専教員でした。
学部時代から教職には興味があり、D4の時には学部生に混じって
教職単位の追加取得(学部時代に大部分取っていた)をしたことがありました。
戦略として、大学教員よりは高専教員の方が公募倍率が低そうというのがありました。
・高専教員はクラブ活動の顧問をやる、寮の宿直があるなど研究の時間が著しく阻害されるらしい
ということで、バリバリの研究者志向の博士は嫌気するだろうという予想です。
私としては、純粋な研究より教育に興味があったので、高専は良いかもしれないと思いました。
指導教員の先生が高専出身だったり、お世話になっていた先生が高専の教授だったりと縁があり、
とりあえずJREC-inを調べてみたところ、全国の高専で割と求人してました。
私の専攻は電子工学で、ジャストな求人が3件ほどでした(山陰・中国・東北の高専)。
んで。結果としては1件目の応募(任期なしの助教)で運良く内定を頂きました。
応募時に送った研究・教育に向けた抱負が好印象だったのか、
こちらとしては何が作用したのか分かりませんでしたが、
5対1の面接が終わって数時間後に内々定のお電話を頂きました。
面接の内訳は主に
・模擬授業(募集要項に即した内容)
・応募時に送った書類を見ながらの質疑・意見の聴取
でした。
とにもかくにも、D5の9月の時点で就職は決まりました。
9月というのは、翌年3月修了の博士学生が受けるにはまだ早い時期だと思います。
標準修業年限で出る学生は、急ピッチで博士論文作成をしていてもおかしくないので。
ということで、年度の早い段階の求人は競争倍率が低いと考えました。
地方の高専だと言うことも良かったのかも知れません。
★最後に
博士後期課程学生の就活は、博士前期の学生と比べて分かりにくいと思います。
まず、他の人がどの様にしているのか分かりにくいです。
だからこそ、例として自分の就活記録を残すことが役に立つと考えたものです。
全国数千の博士後期課程学生に幸あれ!
電力使用制限下の節電の取り組み
政府は7月1日から東電管内の電力の大口需要者に対して電力使用制限を発動しました。
http://www.meti.go.jp/earthquake/shiyoseigen/index.html
http://www.meti.go.jp/earthquake/shiyoseigen/pdf/gaiyo110601-02.pdf
内容の骨子:
電力使用制限者:500kW以上の需要者(大口需要家と定義)
電力制限内容:昨年夏の使用最大電力(1時間当たりの平均値)の85%以内に制限(15%以上削減)
期間:平成23年7月1日~9月22日 9時~20時
とのことです。
身の回りでも節電は国是といった雰囲気で節電が行われています。
以下は身の回りの大口需要者の例。
■小田急線の駅・車輌
駅構内の蛍光灯の一部を消灯(小田急永山駅にて)
改札の一部を使用停止(小田急永山駅にて)
車輌内部照明の一部または全部を消灯(新百合ヶ丘駅にて)
■大学
私の通学している大学は3500kWの大口需要者とのことで、対策本部を立ち上げて諸々対策を打っています。
学内における節電の呼びかけ。
写真に書いてありますが、
・エアコン使用温度28℃設定厳守
・空室時・昼休みの消灯厳守
・最寄り階へはエレベータではなく階段を使用
です。
試算によると、本学では照明を50%消灯して、エアコンの温度を28℃にすれば、
最大使用電力制限の85%は下回れるらしいです。
実際にやってみると、
エアコンの温度28℃は別に不快ではなく、むしろ今までが低く設定していた気がする位でした。
こまめな消灯は1日で慣れました。
今では↓の様な感じで論文書いたりしていますw
私としては、節電は大いに結構だと思いました。義務ですし。
菅直人首相の脱原発方針は、具体的な検討がない様なので、話になりませんが。
原発の様な、安定供給出来る発電所が足りない現状では製造業は不可能との声もあります。
政府が推し進めようとしている太陽電池の製造者であるシャープの社長が言っているのですから、大変なことですね。
政府はもっと真面目にこれからの国内の電力のあり方を検討すべきだと思います。
東日本大震災に伴う電力不足 体験記録 3月 町田・調布
平成23年7月1日の電力使用制限発動以来、東電管内の電力使用量は何とか間に合っていて、
今のところ大規模停電及び計画停電は避けられています。
電力停止の影響が如何に大きいか、我々は既に十分身近なこととして学んでいます。
特に、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後の
週明けの月曜から数週間はグループ分けの計画停電が実施され、
東京23区を除く首都圏は大混乱に見舞われました。
以下では、
その時の計画停電(輪番停電)、節電について体験・記録した範囲でのまとめです。
■3月14日(月) 町田駅 (街並み、鉄道関係)
週明けの月曜、カリヨン広場では報道特番で交通情報を注視する人達が沢山いました。
10時過ぎているのに閉まったままの東急百貨店。
町田駅は始発から計画停電の影響で小田急線も横浜線も運転休止でした。
小田急入口のシャッターが閉じているのなんて初めて見ました。当然、小田急百貨店も閉店でした。
横浜線もシャッターが閉まっていました。
張り紙の通り、町田駅使用者はJR, 小田急線共に終日使えませんでした。
鉄道の乗降旅客数が首都圏第12位の町田駅でこの惨状は、
戦中を含めても、恐らく新原町田駅が誕生してから初めてのことだったでしょう。
■3月18日 計画停電 調布(昼間),町田(夜間)
調布駅前の国道20号(甲州街道)および周辺道路では四六時中車輌の往来が激しいですが、
計画停電では信号が停止しました。
写真ではお巡りさんが手旗信号をやっていますが、
一般人の有志がやっている姿も多く見受けられた他、手旗信号なしの交差点も多く見られました。
どのクルマもそろそろと動くので、案外事故にはならないものですね。
しかしながら、道路横断者にはかなり厳しいものでした。
夜間は、場所によっては軽油の発電機で信号を動かしている所も見掛けました。
3月18日夜の町田中心部では、計画停電で真っ暗になっていました。
右手奥に「久美堂」があります(看板が見えます)。
普段は深夜でも明るい所ですが、この時は、人の往来は激しいのに明かりは全く無くて、
道路標識のみが中町方向(計画停電のグループで原町田とは別だったらしい)からの照明を
反射して光っていました。
体験したことのない、何とも奇妙な光景でした。
次は節電について気付いた範囲でのまとめをしようと思います。
只見線 田子倉駅 ぶらり訪問 (国道252号線)
新潟県魚沼市小出から国道252号線を使って所謂秘境駅と言われている(臨)田子倉駅を見てきました。
田子倉駅は田子倉湖の湖畔に位置しています。国道17号線から分岐している国道252号線をひたすら登り、只見線と併走しながらスノーシェッドをいくつもくぐることで、お目当ての田子倉駅に到着しました。なんと小出から50km。
田子倉駅周辺に民家はありません。それどころか、集落の存在する近隣の只見駅まで約7km、大白川駅まで12kmあり、人の営みからは隔絶された地域となっています。
訪れた当日は、只見線巡りをしていたハイカーの他、釣り人、浅草岳への登山客を見たのみでした。
国道252号線は、冬季は通行止めになり、田子倉駅の旅客はなくなることから、冬季は通過となります。
駅舎は蛇行している252号線沿いにあり、一見すると道路工事作業車か何かの倉庫に見えます。
(訪れた時は、隣に工事の詰め所?があり、余計に駅舎には見えませんでした)
中に入ると階段があり、下方に片側のみのホームがあります。ホーム全体がスノーシェッドに覆われており、薄暗いです。
上下線でそれぞれ一日3~4本。冬季は旅客扱いすらなくなってしまう。
ホームには明かりすらない。夜間は停車しないので問題とはならないのでしょう。
田子倉駅周辺には、徒歩3分程度の所に浅草岳登山口があり、駐車場および無料休憩所がありトイレも利用できます。
休憩所の建物の脇からは只見沢へ下れます。
252号線からの景色は素晴らしい。眼前に田子倉湖、背を向ければ浅草岳。駅前に本格的な大自然が広がっています。
ちなみに、auの携帯電話は圏外でした。人の営みがないので当然でしょうね。
昼前に田子倉駅に到達できたので、2時間30分待って田子倉駅に進入するキハ40系気動車を撮影しました。
只見の緑、湖の青とキハ40系との調和が素晴らしい。
こちらは252号線沿いの駐車場から見下ろした田子倉湖。
只見線は紅葉の美しい路線や深雪の路線としても名高いので、紅葉が深まる秋と積雪期に訪れたいと思います。