平成23年3月期の課程博士の予備審査を経て本審査(最終試験)に合格し、博士号を授与されたので、
一つの区切りとして就活に関するまとめを記したいと思います。
博士後期課程を歩み、進路について考えている人への参考例になれば幸いです。
★ブログ主のプロファイル
・年齢:31歳(平成23年度で)
・国立大学 工学系学科卒→そのまま同じ大学院、同じ研究室 現在D5
・大学入学までに二浪、博士後期課程在学中に二留、標準修業年から4年逸脱
・修了に必要な論文:査読付レギュラーペーパー2本 or レター3本
・修了までに書いた論文:レギュラーペーパー3本
★いつ就活を始めたか?
・D2の春とD4の冬からD5の夏にかけて。
D2の就活は研究の環境から離れるためにやっていました。
研究室にいるのが辛くて(抑鬱状態になってました)、リフレッシュを兼ねて就活してました。
色々な人の就活記を見ると、一時的に研究活動を止めて就活に専念する人もいるようです。
私の場合、就活期間中も研究室には毎日行っていました。
研究室に行っていないと、何だかニートの類になった気分がして嫌だったので。
D4の就活は、修了に必要な論文数が稼げたため、D5での修了即就職を目指して本気で就活しました。
企業の採用担当に問い合わせると、業界に関係なく、博士の採用プロセスは修士と殆ど変わりませんでした。
なので、年齢的に不利だと感じつつ、修士学生や学士学生に混じってテストセンターやWeb試験、面接を受けてました。
非鉄金属、製造業(総合電機)、分析関係の企業を15社程度受けましたが、2次面接まで行けた企業は0社でした。日○、三○電機、三○電機、富○通、日○電線、豊○合成、○ーム、ス○ンレー電気などなど…
率直に、年齢がネックなのだと思いました。
30歳を取ってくれる企業はそうそうないだろうなと思いながら数打ったものの、全滅には流石に凹みました…
それと、SPI・テストセンターの点数が案外取れなくて、大学院入学以来頭の回転が遅くなったと痛感しました…
15社全部ダメになったのが、D5の春だったと思います。
それから、27歳のD3と同じ戦いをしてもダメだと気づきました。
★んで、戦略転換
思い切って年齢の要件が高めの求人に絞ってみました。
そうすると、選択肢に入ってきたのが公益法人の職員や弁理士事務所などの専門職求人でした。
サクッと見つけた某県の水質調査系の公益法人を受けてみたものの、あっさり落ちました。
専攻があまりに違ったからかも知れません。
中小の弁理士事務所も見てみましたが、求人数が多くない上にD5から弁理士資格合格を目指すのは現実的な選択でないと考え除外。
D1かD2位でドロップアウトを決意したならば、弁理士資格を目指してみても良かったかも知れません。
次に思いついたのが、高専教員でした。
学部時代から教職には興味があり、D4の時には学部生に混じって
教職単位の追加取得(学部時代に大部分取っていた)をしたことがありました。
戦略として、大学教員よりは高専教員の方が公募倍率が低そうというのがありました。
・高専教員はクラブ活動の顧問をやる、寮の宿直があるなど研究の時間が著しく阻害されるらしい
ということで、バリバリの研究者志向の博士は嫌気するだろうという予想です。
私としては、純粋な研究より教育に興味があったので、高専は良いかもしれないと思いました。
指導教員の先生が高専出身だったり、お世話になっていた先生が高専の教授だったりと縁があり、
とりあえずJREC-inを調べてみたところ、全国の高専で割と求人してました。
私の専攻は電子工学で、ジャストな求人が3件ほどでした(山陰・中国・東北の高専)。
んで。結果としては1件目の応募(任期なしの助教)で運良く内定を頂きました。
応募時に送った研究・教育に向けた抱負が好印象だったのか、
こちらとしては何が作用したのか分かりませんでしたが、
5対1の面接が終わって数時間後に内々定のお電話を頂きました。
面接の内訳は主に
・模擬授業(募集要項に即した内容)
・応募時に送った書類を見ながらの質疑・意見の聴取
でした。
とにもかくにも、D5の9月の時点で就職は決まりました。
9月というのは、翌年3月修了の博士学生が受けるにはまだ早い時期だと思います。
標準修業年限で出る学生は、急ピッチで博士論文作成をしていてもおかしくないので。
ということで、年度の早い段階の求人は競争倍率が低いと考えました。
地方の高専だと言うことも良かったのかも知れません。
★最後に
博士後期課程学生の就活は、博士前期の学生と比べて分かりにくいと思います。
まず、他の人がどの様にしているのか分かりにくいです。
だからこそ、例として自分の就活記録を残すことが役に立つと考えたものです。
全国数千の博士後期課程学生に幸あれ!