平成23年7月1日の電力使用制限発動以来、東電管内の電力使用量は何とか間に合っていて、
今のところ大規模停電及び計画停電は避けられています。
電力停止の影響が如何に大きいか、我々は既に十分身近なこととして学んでいます。
特に、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後の
週明けの月曜から数週間はグループ分けの計画停電が実施され、
東京23区を除く首都圏は大混乱に見舞われました。
以下では、
その時の計画停電(輪番停電)、節電について体験・記録した範囲でのまとめです。
■3月14日(月) 町田駅 (街並み、鉄道関係)
週明けの月曜、カリヨン広場では報道特番で交通情報を注視する人達が沢山いました。
10時過ぎているのに閉まったままの東急百貨店。
町田駅は始発から計画停電の影響で小田急線も横浜線も運転休止でした。
小田急入口のシャッターが閉じているのなんて初めて見ました。当然、小田急百貨店も閉店でした。
横浜線もシャッターが閉まっていました。
張り紙の通り、町田駅使用者はJR, 小田急線共に終日使えませんでした。
鉄道の乗降旅客数が首都圏第12位の町田駅でこの惨状は、
戦中を含めても、恐らく新原町田駅が誕生してから初めてのことだったでしょう。
■3月18日 計画停電 調布(昼間),町田(夜間)
調布駅前の国道20号(甲州街道)および周辺道路では四六時中車輌の往来が激しいですが、
計画停電では信号が停止しました。
写真ではお巡りさんが手旗信号をやっていますが、
一般人の有志がやっている姿も多く見受けられた他、手旗信号なしの交差点も多く見られました。
どのクルマもそろそろと動くので、案外事故にはならないものですね。
しかしながら、道路横断者にはかなり厳しいものでした。
夜間は、場所によっては軽油の発電機で信号を動かしている所も見掛けました。
3月18日夜の町田中心部では、計画停電で真っ暗になっていました。
右手奥に「久美堂」があります(看板が見えます)。
普段は深夜でも明るい所ですが、この時は、人の往来は激しいのに明かりは全く無くて、
道路標識のみが中町方向(計画停電のグループで原町田とは別だったらしい)からの照明を
反射して光っていました。
体験したことのない、何とも奇妙な光景でした。
次は節電について気付いた範囲でのまとめをしようと思います。