いつもご覧いただきありがとうございます。本稿は情報発信というよりも個人的な備忘録・回想という意味合いが強いです。悪しからず。
平成がはじまったときの思い出
私は昭和55年(西暦1980年)生まれで、平成元年(1989)では9歳でした。私が覚えている昭和の終わりは、父の会社(零細企業)の慰安旅行でハワイから帰国中の飛行機の機中、機長からの昭和天皇崩御についてのアナウンスがあったことです。私が乗っていた飛行機は、日航や全日空などの日系キャリアだったのだと思います。昭和天皇の崩御についての報道などは殆ど覚えていませんが、唯一、このことだけは鮮明に覚えています。
父の会社の慰安旅行に行くのが父だけでなく家族全員で、目的地が国内ではなくハワイでというのが、昨今の懐事情では考えられないですね。つまりはバブル経済の賜物だったのだと思います。
平成的なものを一言でいうと…?
約63年間続いた「昭和的」という言葉があるように、そのうち、約30年続いた「平成的」という言葉も生まれると思います。私は平成を一言で表すならば、「景気後退と再生の途上」という言葉がしっくりくると思います。週刊エコノミストの図面を見ると、平成が経験した主な経済・世界情勢イベントが分かります。
※https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/12/27/20181227se100m020016000q/0.pdf?1
経済的に言えば、バブル崩壊、失われた20年(リーマンショック含む)とアベノミクスという感じですね。失われた20年が長すぎました。この10年間は頑張っていますが、少子高齢社会の進展に伴って好景気の実感は掴めません。むしろ今後、今までは享受できていた様々な社会的サービスがなくなっていくかも知れないという不安を日本社会の若い世代は感じています。
改元と元号不要論
今上天皇が平成28年8月8日に譲位についてのおことばを述べられてから政府の改元についての検討が本格化し、平成は31年4月30日をもって終了することになりました。度々引き起こされてきた元号不要論は今までになく強く展開されてきたと感じています。
元号不要論の中心は、西暦と異なることに対する事務的な非合理性です。西暦の方が便利だから元号は不要ということですね。そういった意味では確かに元号はそぐわないです。しかし、これは原発反対を唱えることと同じ位に極めて短絡的かつ乱暴な議論であって、今までの歴史的経緯や元号に親しみを感じている人を無視しています。
私は、元国家公務員である独立行政法人職員のためか、元号はかなり身近です。殆どの文書が元号表記だからです。それでも、西暦で関連付けられている物事や海外の場合は西暦で語りますので、もちろん西暦も使います。私としては、「元号と西暦は場合によって使い分ける」ということで良いと考えています。
大まかに時代を捉えるときには、西暦よりも元号の方が日本人にとってはしっくりくると思っています。「昭和生まれ」「平成生まれ」など、元号で年代を括ることも多いです。改元というのは、色々なものを刷新する不思議な力があります。その昔は、災害が起こったりしたときにも改元したとされており、改元に良い未来への期待を込めたのだと思います。
令和時代の日本人のリーダーシップ
令和の意味を考えると、令和時代の日本が世界に向けてリーダーシップをとるべき価値観は、ハードよりもソフト、物質主義よりも精神主義なのではないかと思います。
日本における精神主義の中心にいらっしゃるのは天皇陛下・皇室であるので、天皇陛下のお祈りへの姿勢をお手本とすれば良いのだと思います。
日本人は歴史的に外国人に対しては温和でかつ寛容です。ただ一方では同調圧力が強いため、自分たちに同化してくれる外国人は歓迎して受け入れますが、同化しない・群れる外国人に対しては不寛容です(どの国でもそうでしょうが)。同じ民族の人たちは、群れたときに感じる居心地の良さを、少しでも日本人社会の中に見出してもらえるように、我々日本人は粘り強く変わっていかなければならないのだと思います。その変化の中に日本が世界に模範を示すリーダーシップがあり、日本にしかできないビジネスがあるのだと思います。
例えば、
- 自衛隊のイラク・サマーワへの派遣
※JOG(378) サマーワに架けた友情の架け橋 - ムスリムのための祈祷室
※https://www.halalmedia.jp/ja/archives/25275/prayer-space-opens-public-today-onwards/
ハラル認証を受けた食材を使った料理の提供
などはアイコン的な取り組みだと思います。「おもてなし」などもですね。日本では幸い未だにイスラム過激派によるテロは起こっていません。それは、こういった取り組みがイスラム社会で評価されているからかも知れません。
イスラム圏は、中東だけでなく東南アジア諸国にも広がっており、これらの国は今後数十年で大きく経済発展することが期待されています。そのような国々との結びつきは、ますます強まっていくことが期待されます。
イスラム圏の人々と調和を進めることは、先進国にあって宗教に寛容な日本人だからこそできることだと思います。白人などキリスト教圏などの人々や中国共産党に支配されている人民共和国にはちょっと難しいのではないでしょうか。まさに日本の出番ではないでしょうか?
令和時代の日本人は、ますます自分たちのことを知らなければなりません。そのためには、世界の人々を知り、比較・相対化して自分たちについての学びを深めることが重要だと思います。